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第3回 「むくどりのゆめ」(浜田廣介・作 いもとようこ・絵 白泉社)に寄せて

土よう子ども会代表 濱田早苗

 4月10日に開かれた「土よう子ども会」で、それぞれ進級した子どもたちに聞いてみました。
「今まで本を読んでもらったり自分で読んだりして、泣いたことがありますか?」
 幼稚園年少組から小学3年生までの年代の子どもたちですが、全員首を振って、「なぁいー」との答え。 

 私が母から聞いたり、読んでもらったりした話で、初めて涙が出たのが「むくどりのゆめ」でした。
 同じ廣介童話、「ないたあかおに」の青鬼の最後の手紙にも涙が出たけれど、先に読んでもらったのが「むくどり」だったように思います。5歳位だったでしょうか…。
 母は和裁の仕立て屋をしていました。家事・子育てをしながらの内職でしたが、昼間ラジオで聴いた童話を、夜眠る前に妹と私の間に寝て話してくれることが日課でもありました。いつ買ったのか、分厚い「ひろすけどうわ」という本を読んでくれたりもしました。絵のない、全く字だけの黄色い表紙の本でした。初めて涙が出たのは、それを読んでもらった時のことだと思います。
 「母が死んだ!」という夢を幼い頃からよく見たものです。「むくどりのゆめ」を聞いてから夢を見るようになったのか、夢を見たから「むくどり」に涙が出たのか、どちらが先だったのかは覚えていません。ただ忘れられないのは、母が死んだという夢を見ては泣きじゃくって目を覚まし、夢だったと分かった時はどんなに嬉しかったことか!… 母には夢の話は伝えたことはなく、ただいつものように生きていてもらえたことが奇跡のようで、子ども心に有り難かったものでした。母が亡くなる夢は、成人してからも時折見ました。夢から覚めるその度に、夢で良かったと心の中で小躍りしたものです。
 しかし、何十回と見た夢が、遂に現実となって私の前に現れました、つい先日の3月26日、雪の朝に…。来る時が来たと知った時、涙は出ませんでした。夢で泣きじゃくった分、涙は枯れていたのかもしれません…。
 4月の「土ようこども会」でこの本を読むことを決心し練習した時、1回目は涙が溢れて最後は涙声になってしまいました。これではいけない、と、間をおいて練習しました。そして、あとは本番の自分に委ねることにしました。本番は涙声にならずに読むことができて安堵した次第です。

 桜が満開のこの頃、去年車の助手席に母を乗せて青海地内の桜を見て回ったことを思い出します。今年の桜を見せることはできなかったけれど、正月の一日・二日と連日、母の唯一の娯楽といえる花札(賭けなし)を家族で楽しんだことが今年の思い出です。点数の数え方も合っていたし、トランプより花札が楽しそうでした。終わると必ず「誰が一番だったん?」と聞き、次の準備をしている間にも、「今の、誰が一番だったん?」と同じことを聞く母でした。誰が一番でも、納得したように微笑んでいましたが、なかなか母が一番になることはなく、やがて母が一番になった処で終わりにしたものです。
 年をとると子どもに帰ると言いますが、米寿の母もそうでした。「アイアイだより106号」でお伝えしたように、0歳からの親子の力関係はXの形で表され、親の力「\」は最後には子どもに戻ることを表しています。外を歩く時、お風呂に入る時、私の手をしっかり握り締め、何かあると私の名前を呼んだ母。― 昔、私が泣きじゃくって目覚めた頃は、母を慕うと共にいなくなられたら困ることだらけだったのに、私が還暦を超えた今、母がいなくても生きていける力を備えていたことを改めて知らされます。ここまで生きてくれたことに感謝するのみです。幼い頃から病弱だった私は、母にどんなにか苦労をかけたことか…。
 最後に、生前母が言っていた言葉の中から、「アイアイだより」にも載せた暁烏敏(あけがらすはや)氏の歌を再掲します。

  十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母ありなむや                
                                      (平成22年4月18日)

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